フランスの豊かな食文化を語る上で、欠かすことのできない存在があります。それは、美しい絵付けと質の高さで知られるサルグミンヌ窯の陶器です。18世紀末に創業して以来、サルグミンヌはフランスの家庭の食卓を彩り、世界中の人々を魅了してきました。本稿では、サルグミンヌ窯の創業から終焉までの歴史を紐解き、その食器が持つ独特の魅力に迫ります。
サルグミンヌ窯の創業と初期の歩み (1790年頃)
サルグミンヌ窯の歴史は、18世紀後半に遡ります。複数の情報源によると、窯の設立時期には若干のずれがあり、1784年頃とする説と1790年とする説が存在します。創業者として名前が挙がるのは、ニコラス=アンリ・ジャコビとポール=オーギュスタン・ジャコビ兄弟、そして彼らのパートナーであるジョセフ・ファブリーです。しかし、創業当初の経営は決して順風満帆とは言えず、事業は成功に至りませんでした。
当時の経済状況は、新たな事業を始めるには厳しいものでした。原材料の調達も困難であり、地元住民からの不信感や反発もあったとされています。加えて、イギリスやフランスの既存の陶器メーカーとの競争も激しく、創業者たちは多くの困難に直面しました。しかし、サルグミンヌという地域自体は、16世紀から陶器製造の歴史を持つ土地柄でした。この陶器製造の伝統が、後にジャコビ兄弟とファブリーがこの地に窯を築いた背景にあると考えられます。長きにわたる陶器製造の歴史は、地域に一定の技術や資源、そして職人の存在を示唆しており、新たな窯の設立を後押しする要因となったのかもしれません。
発展と変遷:主要な出来事と経営者の交代
サルグミンヌ窯がその名を世に知らしめるのは、1800年にバイエルン出身のポール・ウッチュナイダーが経営を引き継いでからです。ウッチュナイダーは、新たな装飾技術を導入し 、その革新的な経営手腕によって、サルグミンヌ窯は目覚ましい発展を遂げます。彼の顧客の中には、なんとナポレオン・ボナパルトも名を連ねており 、この事実はサルグミンヌ窯の製品の質の高さを物語っています。事業の拡大に伴い、新たな工房や水車小屋が建設され 、生産体制が強化されました。また、森林伐採による環境問題への懸念から、1830年頃には燃料を薪から石炭へと転換し、石炭窯が導入されました。これは、環境の変化に対応し、技術革新を進める企業の姿勢を示すものです。
1836年、ポール・ウッチュナイダーは義理の息子であるアレクサンドル・ド・ガイガーに経営を譲渡します。ド・ガイガーの時代には、1838年に名窯ヴィレロイ&ボッホと資本提携を結び 、これが生産量の増加に大きく貢献しました。19世紀中頃には、蒸気機関を動力とする新たな工場が1853年と1860年に建設され 、産業革命の波に乗って近代化が進められました。この時期のサルグミンヌ窯の発展は、当時のヨーロッパにおける産業革命の進展と深く結びついており、技術革新と経営戦略の成功が、その成長を支えたと言えるでしょう。
1870年から1871年の普仏戦争後、サルグミンヌを含むモーゼル地方がドイツに併合されたことにより、アレクサンドル・ド・ガイガーは1871年にパリへ引退します。彼の息子であるポール・ド・ガイガーが経営を引き継ぎ 、フランス国籍を維持するために、ディゴワンとヴィトリー=ル=フランソワに新たな工場が建設されました。これは、普仏戦争という歴史的な出来事が、サルグミンヌ窯の経営戦略に大きな影響を与えたことを示しています。
1913年にポール・ド・ガイガーが亡くなると、1919年にはウッチュナイダー社はサルグミンヌ工場とフランス国内の工場を管理する2つの会社に分割されました。第一次世界大戦後、1919年に再び統合され、「サルグミンヌ=ディゴワン=ヴィトリー=ル=フランソワ」という社名のもと、カザル家によって経営が行われました。第二次世界大戦中には、1942年から1945年までヴィレロイ&ボッホによる管理下に置かれる時期もありました。その後、1978年にはリュネヴィル=バドンヴィレー=サン・クレマン・グループに買収され 、1979年には食器の生産を終了し、タイル製造へと事業の重点を移しました。1982年には社名も「サルグミンヌ・バティマン」に変更されました。2002年には、従業員と経営陣が株主となり、「セラミック・ド・サルグミンヌ」として再出発しましたが 、2007年にはついに会社は清算され、すべての活動を停止しました。
サルグミンヌ窯の歴史を語る上で特筆すべき出来事として、パリの地下鉄建設時に、その壁面を飾るタイルを大部分供給したことが挙げられます。また、1860年代にはマジョリカ陶器の製造を開始し、ヨーロッパにおける陶器製造の中心地としての地位を確立しました。19世紀末から20世紀初頭にかけては、アール・ヌーヴォーの潮流を取り入れ、著名なデザイナーと協力して作品を制作しました。さらに、1850年代から1940年代にかけては磁器の製造も行っていました。このように、サルグミンヌ窯は、時代の変化に合わせて製品ラインナップを多様化し、技術革新と芸術的な感性を融合させながら発展してきたと言えるでしょう。
時代を映す製品:サルグミンヌ窯の代表的な製品
サルグミンヌ窯の製品は、創業初期の陶器 から始まり、ウッチュナイダーの時代には、上質な磁器、陶器、そしてマジョリカ装飾タイルへと多様化しました。特にマジョリカ陶器は、サルグミンヌ窯の名声を高めた製品の一つであり 、黄色い葉を模した型の上に様々な果物をあしらったデザインが非常に人気を博しました。1880年代には、海辺のリゾート地の流行を受け、海洋をテーマとした製品も開発されました。
サルグミンヌ窯は、皿、花瓶、植木鉢、暖炉など、多岐にわたる製品を製造していました。また、ユーモラスなキャラクターのジャグ や、マジョリカ製のテリーヌ、アスパラガス用の食器、置物なども製造していました。19世紀末から20世紀初頭にかけてのアール・ヌーヴォーの時代には、流れるような曲線や自然をモチーフとしたデザイン、鮮やかな釉薬を用いた作品が数多く生み出されました。アイリスの花を象った花瓶などがその代表例です。20世紀に入ると、上質な磁器、食器セット、バスルーム用品、建築用セラミックスなど、さらに製品ラインナップを拡大しました。百貨店や商店、建物のエントランスホールなどを飾る装飾パネルも制作し、H.スタインレインのような著名なアーティストにデザインを依頼することもありました。このように、サルグミンヌ窯の製品は、時代ごとの消費者の嗜好や技術的な進歩を反映しながら、多様な展開を見せていたと言えるでしょう。



サルグミンヌの食器:素材と製法の秘密
サルグミンヌ窯の食器の主な素材は、粘土と粉砕された石英を混ぜ合わせたファイアンス(faience)と呼ばれる陶器です。しかし、サルグミンヌ窯は上質な磁器(fine china)や磁器(porcelain)も製造していました。特に磁器には、パリアン磁器とリン酸磁器(ボーンチャイナ)の2種類がありました。また、ストーンウェア(stoneware、炻器)も製品の一部でした。このように、多様な素材を使用することで、幅広いニーズに対応しようとしていたことが伺えます。
ファイアンスの製造工程は、まず低温で素焼きされた陶器に鉛釉(酸化錫を加えて白く不透明にすることが多い)を施し、その上に絵付けを行い、さらに高温で焼成するというものです。サルグミンヌ窯は、リトグラフや転写印刷といった新しい技術も積極的に導入していました。特に1830年代から用いられた転写印刷は、装飾された皿を大量生産することを可能にしました。サルグミンヌにあるファイアンス博物館では、この陶器製造の歴史と技術の進化を学ぶことができます。また、ブリーの風車小屋は、工場で使用する石臼として利用されていました。工業的な技術である転写印刷の採用は、装飾された食器がより多くの人々に手頃な価格で提供されるようになり、食卓の風景を豊かにする上で重要な役割を果たしました。
デザインの魅力:色、模様、そして形状
サルグミンヌ窯の食器は、その鮮やかな色彩と装飾的なデザインで知られています。そのデザインには、中国の磁器、日本の陶磁器、ヨーロッパの民俗芸術など、様々な影響が見られます。ロマン主義の時代(1830年~1840年)にはオリエンタルな傾向が強く、1860年から1900年の間には日本の雰囲気が広く表現されました。アール・ヌーヴォーの作品には、流れるような曲線と自然をモチーフとした装飾が特徴的です。マジョリカ陶器には、果物、花、動物などをモチーフとした、鮮やかな釉薬を用いたものが多く見られます。サルグミンヌ窯は、主にデザート皿として300以上の歴史的な絵皿シリーズを制作しており、その構図は時代とともに変化していきました。このように、多様なデザインの影響を取り入れることで、幅広い市場のニーズに応えようとしていたことが伺えます。
物語を語るシリーズとパターン:その歴史的背景
サルグミンヌ窯の代表的なシリーズやパターンとしては、黄色い葉の上に様々な果物をあしらったマジョリカ陶器が最も人気がありました。19世紀には、「ルイ15世」様式がティーセットやコーヒーセットに用いられました。アンリ・ルーによって装飾された「オベルネ」は、サルグミンヌ窯の生産終了後も製造が続けられた人気のパターンです。少なくとも1875年には存在した「パピヨン」(蝶) や、第二帝政期(1860年~1870年頃)に人気を博した「ルーアン」と「パピヨン」 などがあります。「カルメン」は1875年から1900年の間に製造され 、「フォンタンジュ」は1920年から1930年の間に作られました。野の花を意味する「アグレスト」は、可憐な花柄が特徴で非常に人気のあるシリーズです。1800年代後半には「モーツァルト」というパターンも存在しました。19世紀後半には、花柄をモチーフとした「ジャルディニエール」シリーズも製造されました。第一次世界大戦中には、愛国的な絵柄のファイアンス陶器も制作されました。これらのシリーズ名には、「ルイ15世」や「モーツァルト」といった歴史上の人物、「オベルネ」や「ルーアン」といった地名が用いられており 、フランスの歴史や文化との結びつきが感じられます。このような命名は、消費者の間で伝統や優雅さ、あるいは地域への誇りを喚起する意図があったのかもしれません。
マジョリカ陶器における果物のモチーフの人気は、ヴィクトリア朝時代の自然や豊穣への関心を反映しています。アール・ヌーヴォーのデザインは、芸術を日常生活に取り入れようとした当時の芸術運動の一環でした。第一次世界大戦中に制作された愛国的なファイアンス陶器は、国民の感情や記憶を表現する手段となりました。
フランスの食文化と生活様式への影響
19世紀には、サルグミンヌ窯の食器はブルジョワ階級の間で広く用いられ、豪華な食卓調度品は富と地位の象徴となりました。コーヒー、紅茶、チョコレートといった新しい飲み物のための専用の食器も製造され、当時の社会習慣の変化を反映しています。サルグミンヌ窯のファイアンス陶器は、フランスの北アフリカの植民地にも輸出されており 、フランス本土以外の地域の人々の日常生活にも影響を与えていました。大量生産された装飾的な食器の普及は、より多くの人々にとって洗練された食事が身近なものになることに貢献しました。サルグミンヌ窯の食器が広く普及したことは、フランス社会における食事の習慣や美意識の標準化に寄与したと考えられます。
コレクターの視点:人気のアイテムとその理由
コレクターや愛好家の間で特に人気のあるアイテムとしては、果物をモチーフとしたマジョリカ陶器が挙げられます。また、ユーモラスなキャラクターのジャグも人気があります。独特のスタイルを持つアール・ヌーヴォーの作品もコレクターの注目を集めています。歴史的なテーマや記念の絵柄が描かれた皿も人気があり 、珍しいマークや特定の経営者の時代の作品は、特別な価値を持つことがあります。マジョリカ陶器やアール・ヌーヴォーの作品の人気は、アンティーク収集の一般的な傾向を反映しており、これらの様式はその美的価値と歴史的意義から広く評価されています。
これらのアイテムが人気を集める理由としては、サルグミンヌ窯が製造したファイアンスや磁器の質の高さ 、デザインの美しさや芸術性 、窯の歴史的意義と長い生産期間 、様々なスタイルやパターンが存在することによる多様性 、そしてフランスの歴史や文化とのつながり などが挙げられます。
サルグミンヌ窯の現在
サルグミンヌ窯は、2007年の清算により生産を終了しました。しかし、「サルグミンヌ・フランス1778」というブランド名は、2014年にSBセラミックSARL社に引き継がれ、ヴィトリー=ル=フランソワ工場で衛生陶器の生産を再開する計画が発表されました。また、ディゴワン工場は2015年にボーデン・サービシズ社のジャン・モーリス・シュミットによって清算を免れ、「ファイアンスリー・ド・ディゴワン」として、一部のサルグミンヌ製品の生産を継続しています。サルグミンヌ博物館には、豊かな陶磁器コレクションが収蔵されており、窯の歴史を今に伝える記念館となっています。博物館は、製品のマークを特定するための会社記録への直接アクセスを持っています。このように、サルグミンヌ窯そのものは閉鎖されましたが、そのブランドと一部の製品は形を変えて存続しており、その不朽の遺産を示しています。
日本の情報源から:ウェブサイトやブログ記事の紹介
日本の複数のブログ やオンラインショップ では、サルグミンヌ窯の歴史が紹介されており、特にディゴワンとの関係や普仏戦争の影響に焦点が当てられていることが多いようです。多くの情報源が、サルグミンヌ窯の食器、特に「花リム」と呼ばれる縁に花の装飾がある皿 やマジョリカ陶器の美しさや収集価値を強調しています。また、製品のマークを特定し、製造年代を特定するための情報を提供しているブログもあります。これらの日本語の情報源の存在は、日本のコレクターや愛好家の間で、サルグミンヌ窯の陶器に対する関心が高いことを示しています。日本の情報源が「花リム」シリーズやディゴワンとの関連といった特定の側面に焦点を当てていることは、日本のアンティーク市場におけるサルグミンヌ窯への関心の特定の方向性を示唆していると考えられます。
まとめ:サルグミンヌ窯の遺産と魅力
サルグミンヌ窯は、18世紀末の創業以来、激動の時代を乗り越えながら、フランスの食卓を彩り続けてきました。その歴史は、技術革新と芸術的な感性の融合、そして時代の変化への適応の物語と言えるでしょう。鮮やかな色彩と多様なデザインを持つサルグミンヌの食器は、フランスの食文化や生活様式に深く根ざし、今もなお多くの人々を魅了しています。オリジナルの窯は閉じましたが、そのブランドと一部の製品は存続しており、アンティークとしての価値も高く、世界中のコレクターや愛好家によって大切にされています。
年 | 出来事/経営者の交代 |
1784頃/1790 | ニコラス=アンリ・ジャコビらによる創業 |
1800 | ポール・ウッチュナイダーが経営を引き継ぐ |
1836 | アレクサンドル・ド・ガイガーが経営を引き継ぐ |
1838 | ヴィレロイ&ボッホと提携 |
1871 | アレクサンドル・ド・ガイガーが引退、ポール・ド・ガイガーが経営を引き継ぐ |
1913 | ポール・ド・ガイガーが死去 |
1919 | サルグミンヌ=ディゴワン=ヴィトリー=ル=フランソワとして再統合、カザル家が経営 |
1942-1945 | ヴィレロイ&ボッホによる管理 |
1978 | リュネヴィル=バドンヴィレー=サン・クレマン・グループに買収 |
1979 | 食器の生産を終了、タイル製造に重点 |
1982 | 社名をサルグミンヌ・バティマンに変更 |
2002 | 従業員と経営陣が株主となり、セラミック・ド・サルグミンヌに改名 |
2007 | 会社清算、すべての活動を停止 |
シリーズ/パターン名 | おおよその製造時期 | 主なデザインの特徴 | 歴史的背景 |
マジョリカ(果物モチーフ) | 1860年代以降 | 黄色い葉の上に様々な果物をあしらったデザイン | ヴィクトリア朝時代の自然や豊穣への関心 |
ルイ15世 | 19世紀 | 優雅なロココ調のデザイン | |
オベルネ | 19世紀~20世紀 | アンリ・ルーによる装飾、田園風景など | 生産終了後も継続生産 |
パピヨン(蝶) | 1875年以降 | 蝶をモチーフとしたデザイン | |
ルーアン | 1860年~1870年頃 | 第二帝政期に人気 | |
カルメン | 1875年~1900年 | ||
フォンタンジュ | 1920年~1930年 | ||
アグレスト | 不明 | 野の花をモチーフとしたデザイン | |
モーツァルト | 1800年代後半 | ||
ジャルディニエール | 19世紀後半 | 花柄をモチーフとしたデザイン | |
愛国的なファイアンス | 第一次世界大戦中 | 愛国的な絵柄 | 戦時下の国民感情を反映 |